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訃報

稀勢の里が怒涛の寄りで63連勝中の横綱白鵬を止めた。午後6時。


それから僅か1時間後、入院していた祖父が逝った。享年85歳。


私の人生で初めての身内の死。
テレビで見るような一場面。医師が時計を見て「11月15日、午後7時丁度ですね。お亡くなりになりました」と頭を下げた瞬間、私の脳と心臓に一瞬電気が走った。
午後3時にはリクエストしたプリンを食べ、父や祖母と話していた祖父。私の記憶にある祖父と比べれば衰弱しているとは言え、いつもの光景であったという。5時ごろから何か慌ただしい雰囲気を感じつつも私はいつものように大相撲中継を見ていた。白鵬の連勝が止まり、興奮している私に父と母が何やら病院へ行くとの話。せっかくだから私もと付いて行った。
どうやら祖母から連絡があり、祖父が「ヨーグルトが食べたい」と言っているという。というわけで病院に付きっきりの祖母の夕飯を兼ねて、車で20分ほどの病院へ向かった。


病室へ入ると祖母が泣いていた。今まで見た事のないほどの嗚咽だった。10分ほど前まで何やら祖母と話していたと言う。やがて祖母が話しかけても返事をしなくなり・・・祈る様に祖父の手を握って泣く祖母。本当にドラマの一場面だと思うような機械の音。私たちが駆けつけて数分後、医師が死を宣告した。


本当にただ眠っているだけに見える安らかな死であった。
私は普段そう言う感傷に浸るようなガラではないが、後悔すると思い祖父の頬や手に触れてみると暖かさが伝わってきた。何度も言うが本当に眠っているだけのように見えた。
しばらくして落ちついた祖母が少し微笑みながらも泣きながら「本当に寝てるようだね」と祖父の髪や頬を両手で撫でた。しかしもう祖父は目を覚まさなかった。


とりあえずの別れを済ませ、祖父の身支度を整える間、待合室(食堂)で待つ私たち。
別に根拠は無いが、祖父が食べたいと言って間に合わなかったヨーグルトは絶対に残してはいけないものだと思い込み私が食べた。祖母を慰める母や父の手前、絶対に泣かないと誓っていた私だったが唇を噛むことで涙は抑えられたものの鼻水だけは止められなかった。どんな情けないツラをしてヨーグルトを食べていたんだろう。


身支度が終わり、病室へ向かうとしばらくして連絡していた葬儀屋の方が来ていた。病院のベットから霊柩車の台車に乗せられる祖父。私が子供の頃、賑やかで声が大きくて絶対に100歳までは生きるだろうと思った。家族ってのはいつまでも元気であると思っていた。遺体が白い布に包まれた時、なんだか本当に死んでしまったと思い知らされたような気がして寂しくなった。


久々に見舞いに来た親戚が言うには昼間祖父は「手ェ握ってってくれや」と言ってきたらしい。それを見た叔母は「気持ち悪いこと言うなよ」と笑ったという。祖父だけにはもしかしたら自分が今日までの命と分かっていたのかもしれない。


唯一良かったのは祖父が祖母の手を握り看取られて逝ったことである。こういう言い方が正しいのかは分からないが本当にこれ以上ない良い最後だったと私は思う。




白鵬の連勝が止まった日。そして祖父が逝った日。
色々な事があったこの日を多分私は一生忘れないと思う。


本当にありがとうございました。何だかばーちゃんが一日で歳取っちゃったように見えたよ。これからはばーちゃんを大事にしていかないとイカンね。


纏まらない文章だが祖父の冥福を祈る。




余談だが作詞家の星野哲郎さんが亡くなった。こちらも享年85歳という事を先ほどNHK歌謡コンサートを見て知った。少し気になったので星野哲郎さんの事を調べたら何と驚いた事に誕生日まで祖父と一緒ではないか。これはもう奇跡に近い。こんな縁もあるのかと不思議な気持ちになった。星野哲郎さんのご冥福をお祈りいたします。